父の遺言

父は350キロ離れた田舎の街に住んでいる。

 

定年を迎え、仕事を辞め、母とふたりで暮らしている。庭の畑をいじったり、里山を散歩したり、近所の人たちとおしゃべりしたりして、のんびり暮らしている。

 

東京で働いているボクは、父とは年に1回会うくらいだ。たまに電話して小1時間話をするが、お互いに自分の言いたいことばかりがなりたてて相手の言うことの半分も聞いていない。

 

父と息子なんてそんなもんだ。これくらいの距離感がちょうどいい。

 

一昨年の大晦日、実家に帰ってくつろいでいたボクに父が言った。

 

「遺言を書きたいから、ブログを作ってくれ」

 

……んん?

 

日本人男性の平均寿命は80歳くらいだっけ。そうさな、そろそろそういう話が出てきてもおかしくないころあいだわな。

 

それにしたって、なぜブログ……?

 

「ブログってのは無料で使えるんだろう?」

ウェブログの略なんだってな。調べたんだ」

「写真も載せたいんだ。できるようにしてくれ」

 

ちょ、ちょっと待て。

 

言ってることはおおむね理解できるし、表現は独特だがまちがってはいない。しかし遺言なんだろ、なぜにブログなんだ?

 

「俺もこの歳まで生きてきてな、その折々におまえたち子供や孫たちに伝えるべきことは伝えてきたつもりなんだが、なにぶん思いついたことをすぐに口に出してきたもんだから、きちんと本質が伝わっているかどうか心配になってきた」

 

はあ。

 

「いったん整理して、分かりやすいように文章でまとめて書き遺しておこうと思うんだ。それで半年ほど前から暇をみてすこしずつ書きためてきてな、そろそろ7〜8,000文字くらいになっている」

 

お、おぉ。

 

「でもこれがまだ本題にはたどりついていない。ほんの導入部分しかできあがっていないんだわ。ガッハッハ。章ごとに分けて書いているだろ、先に進んだところで前に書いたのを読み返してみると、足りないなぁと気になって直し始めちゃうんだ。そういうのもブログでできるんだろ?」

 

う、うん。

 でも、遺言っていわなかったか?

 その、ブログに書きたいのって……、

 

自叙伝だよね?

 

「違う。俺はそんな、伝記を残すことができるほどの偉大な人物ではないことは自分でもよぉく分かっている。せいぜい遺言という形でおまえたちに伝えることしかできないんだ」

 

うん……。

 

「誰も読まなくてもいいんだ。それでもなお、書き遺しておかなければならないと思うんだよな。世の中すっかり変わってしまって、これから先もどうなるかわからないだろう。せめてブログに書いておけたら、安心できるんだ」

 

だから。

それは遺言じゃねーんだよな。

 

「遺言だよ」

 

……はあ。さいですか。

 

本人が言いはるんだから遺言なんだそうだけど、壮年期の思い出をつらつら書いて適宜写真なんかを挿入するっていうスタイルの遺言てのは、それはつまり『遺言」というタイトルの随想録・備忘録、良くいってエッセイだ。

 

わかった。

 

題名はともかく、父が書きたいと考えている文章のスタイルは、ブログという形式になじむように思われる。

とはいえ、頑固者の父は不特定多数の読者を想定して書くようなタイプだとは思えない(それどころか、個人名やプライベートな事柄を伏せずに書き明かして、いろいろ問題が起きかねないから非公開設定をお勧めせねばなるまい)。

また無料のサービスを使っていて、彼の主義にそぐわないいかがわしい広告が出てくるようでは困る。父なりに真剣に自分の一生をふり返ろうとしているのだから、ある程度は品のある見てくれにしてやりたい。

 

じゃあ適当なブログサービスを探しておくよー、と約束をして年が明けた。

 

数ヶ月後、春になって誕生日をすぎた父はまたひとつ歳を重ね、思い出したかのように電話口で「ブログどうなった?」と聞いてくるようになった。

 

めんどうくさいから、テキストで送ってもらってこっちでどこかのブログに流しこみ、体裁を整えてやろうかとも考えたのだが、操作方法がわからないなりに試行錯誤を繰り返していろいろやってもらったほうが(ボケ防止にもなるし)いいのかもしれない。

 

メールアドレスを新しく作って、はてなブログにひとつ場所を用意してやった。

 

どうせ逐一、操作方法がわからないだの何もしていないのにぜんぶ消えただの支離滅裂なことを言ってくるのだろうから、アカウントやパスワードはこっちで設定して、保存しておいた。

 

それともうひとつ、同時に同じ操作をやってみて現象を再現する検証用に、自分のはてなブログも作っておいた。

 

「分からないところがあったら聞いてくれ」

 

そういって父にブログを渡したのがちょうど1年前だ。

 

夏が過ぎ、秋も終わった。

 

本人が遺言と言いはるものを、書いているのかどうなのか、どのくらいまで進んだのか、進捗具合をいちいち確かめるのは気がひける。

 

下書き状態で保存されているものをこちらからログインして見ることもできるが、完成していない状態の文章を勝手に読まれるのはうれしくないだろう。

 

だからずっと聞かずにいたが、もう最初に話をしてから1年が経とうとしている。長い時間をかけてじっくり書きたい父の気持ちは尊重したいが、未完成の遺言などというものを遺されたらそれはそれでいろいろとトラブルの元になりかねない。

 

催促するわけでなく、さりげない感じで、ちょっと思い出したんだけどというニュアンスを前面に出して、訊ねてみた。

 

ブログどんな感じ?

 

「おぉ、おぉ、ブログなぁ。アレな、せっかく作ってもらって入りかたも聞いたんだけどな、そのあと自分でやってみようとしたらなぜかうまく入れなかったんだよ。日が悪いのかと思ってまたあとでやってみようとしたら、今度はいろいろ書いておいた紙を無くしてしまってなぁ!」

 

ん? んん⁇

 

「だからそれっきりだ。書いてない」

 

あぁ、あ、そうなの……?

 

「そんなことよりな、先週山でキノコを採ったんだ。大量に見つけたんで持ち帰られるだけ採ってきたんだが、食べきれないから小分けにして凍らせてある。そっちにも送るから食べてみろ!」

 

あ、はい、ありがと……。

 

 

そんなわけで、ここにブログがひとつ残った。

操作方法検証用に作ったボクのブログだ。 下書きには使いかたを練習した雑文がいくつか保存されている。公開に値するものではない。

正確にいうと、父用に作ったブログも残っている。しかしなぜか父はパスワードを変更してしまっていた。設定のやり方を確認する際に、真っ先に変更したらしい。そういうところだけはなぜか意識が高かった。そして案の定、自分で設定したパスワードをすっかり忘れてしまっている。

 

 

ボクのほうは、遺言を書くつもりはまだないのだが、使われずに置かれているこのブログがなんだかちょっとかわいそうに思えてきて、ひとつくらいは文章を書いてみようかなと思った。

 

それがこの「父の遺言」だ。