バチェラーボーイ

クリフ リチャード ウィンブルドンcliff richard wimbledon)」で検索すると、その時の映像がいくつも見つかる。


 

テレビでテニスの試合を見るのが好きだ。ここ数年は錦織選手の活躍もあって地上波で国際試合が放映される機会も増えているけれど、ひところは衛星放送やスポーツチャンネルと契約していないとなかなか見ることはできなかった。とはいえ、ボクがテニスの試合を見るようになったのは1990年代半ばなので、そのころは衛星放送などもまだ普及しておらず、テレビのチャンネルも多くはなかったので、NHKや民放で中継されていたものを気軽に見ることができた。

テニスの試合は深夜に放送される。ヨーロッパやアメリカで大会を行っているので、時差のおかげだ。ボクはずっと夜型の生活をしていたので、深夜0時を回ってからのテレビではテニス中継くらいしかやってなくて、そればかりだらだらと見ていた。

自分でテニスをプレイしたことはない。ルールも知らない。宮本輝の小説『青が散る』を読んだことがあるだけだ。ラケットを使うスポーツはバドミントンをほんの少し遊んだことがあるだけで、聞くところによるとこのふたつの競技はひじや手首の使い方がまるで違うので、どちらかに慣れていると切り替えるのにずいぶん苦労するそうだ。

 

ルールを知らずにテニスの試合を見てなにが面白いのか。

 

まず、テニスの試合は静かである。基本的に選手が打ちあっているあいだは、実況も解説もしゃべらないし、観客も声を出さない。プレイヤーの集中力がそがれるからだ。応援のために鳴りものをならしたり金管楽器を演奏するなんてもってのほか。コートからはときおりプレイヤーが気合いを入れる叫び声、そしてひたすらボールを打ちあう音が聞こえるだけ。ラリーにくぎりがつくと観客から静かな拍手。試合が佳境にさしかかり興がのってきてプレイ間隙の声援がとぎれないときには、さりげなく審判が「静粛に(Thank you.)」と呼びかけると、たちまち会場は静まりかえる。

そして、テニスは時間のかかるスポーツだ。実力が拮抗している一流選手どうしの試合だと、2時間3時間ずっと球を打ちあっている。各ポイントはそのつど意味のあるものなんだけど、だからといって、1点取られたからって「ごぉおおぉぉぉーる!」などとこの世の終わりみたいに絶叫する必要はない。テレビ画面から目が離せなくてトイレに行けなくなることもない。もちろん試合全体を眺めると山場はある。流れが転換する瞬間もある。それでも見るべき勘どころを抑えておけば、なにか別のことをしながらだらだら視聴していてもだいたいの動きはつかめる。肩に力をいれて凝視し続ける必要はない。ゆったりリラックスして見ることができるのだ。

なにより、テニスはルールがシンプルだ。ネットをはさんで向かいあった選手がラケットでボールを打ちあうだけ。うまく相手のコートに入れば良いが、打ち返されたらまたうまいこと返さなければならない。相手が打ち返せないような球を決めるか、相手が返してきたボールが自陣コート内に入らないばあいに、自分のポイントになる。オフサイドトラップもインフィールドフライもない。とても分かりやすい。

 

静かで、長時間で、シンプル。深夜にだらだら見るには最適なスポーツである。

 

ほんのちょっとやっかいなのは点数の数えかたで、ポイントが 0 → 15 → 30 → 40 と増えていくのになんの法則があるのやらいまだに分かっていない。でも0から40になった後に15に戻るわけでもないし、数字が増えているんだから慣れれば理解はできる。30より40のほうがポイントが多い。40の次のポイントをとれば、そのセットは自分のものだ。

デュースやらタイブレークといった用語もひっかかるところかもしれないけど、完全決着方式を採用しているんだな、くらいの理解でじゅうぶんだ。そして10年ほどまえからは「チャレンジ」というビデオ判定システムが導入されている試合があって、これがまた駆け引きの妙が垣間見えて、観戦のおもしろさが増している。チャレンジ権の行使が選択されて映像が再生されるまでのあいだ、観客は手拍子で映像を待ちかまえる。わくわくする。

 

グランドスラム(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)の中で、ボクが最も好きなのはイギリスで開催されるウィンブルドン選手権である。芝生のコートで試合が行われる。天然芝だ。

イギリスという国にはスポーツを楽しむにあたり、なるべく自然な環境を残そう・そのままの状態でプレイしようというポリシーがあるように思う。自然のままスポーツを楽しむということは、大会期間中に選手が走りまわって、蹴って、削って、めくれて、荒れた芝生そのままの状態で最後まで試合を続ける、ということにつながっている。芝生はどんどん荒れてゆくから、最終日の決勝戦がいちばんコートコンディションが悪い。

いやもちろん、ウィンブルドンのテニスコートの芝生は自然そのものではないし、大会前はもちろん大会の最中にも細かく手入れをされて、できるかぎり選手に負担がかからないよう気を配られていることは分かっている。しかしそこからは、“自然の中でスポーツを楽しみたい”というイギリス流の根底にある精神みたいなものが透けて見える。その象徴としての荒れた芝生なのだ。

セント・アンドリュースなんかのゴルフ場の映像を見ても、ブッシュや岩が残る荒野そのままなところでプレイしていて、たくましさを感じる。日本の綺麗に均された人工的なゴルフ場とはずいぶん印象が違う。イギリス独特のムードが漂う。わざわざそういうところで競技する。おもしろい国だな、と思う。

 

天然芝のコートは、全仏のクレイコートや全豪&全米のハードコートとはまったく異なったおもむきの試合を見せてくれる。テニスに詳しい人ならもっと見どころをうまくつかんで解説できるのだろうが、しょせんボクは年に一度2週間ほどテレビを見るだけなので、コート表面の違いが個々の選手のプレイスタイルにどう影響するのか・技術的にどう異なるのかまでは分からない。ナダルウィンブルドンではちっとも活躍しない(のにBig4のひとりに入っているのか不思議だ)ということくらいしか分からない。しかし、何年もウィンブルドンばかり見ていたので、選手の技量やコンディションを超えた、コントロールし得ない要素が絡んでくる芝コートでの試合こそが、テニス観戦の醍醐味だと確信するに至った。(……でもまぁ、実地で生観戦したことはないので、偉そうなこといえる根拠は何もないんだけど)

それから、ウィンブルドン選手のウェアが白だけってのがいいよね。白。礼儀正しいスポーツ。全員が白の姿でプレイしているのに慣れると、全米の色鮮やかなウェアの選手たちがふざけているように見えてしまう。あいつらダメだよ。

 

さて、芝生は植物だから、太陽のもとで光を浴びて、雨が降ったら水を吸って、すくすく生長するのが似あっている。今でこそ大会運営を円滑にすすめるためにウィンブルドンセンターコートにも屋根が増設されたけど、それだって開閉式で、できるかぎり開け放した“自然の状態”でプレイしようという精神は維持されているようだ。

ボクがテニス観戦を始めた20数年前はコート上にまだ屋根はなくて、試合は天候に左右されることが多かった。雨が降ってきて、中断だっ、ということになると、コートの端にずらっと20人ぐらいの男性が並んで、丸めてしまってあったシートをつかみ、息をそろえていっせいにダーッと引っぱって走って、たちまちコート全面を覆ってしまう。わずかなりとも雨粒を芝の上に落としてなるものか。落下する水滴より早くシートを敷いてしまう、そのスピーディな対応も見どころのひとつだった。

 

そういえばいちど、雨を避けるシートをかぶせるために並んで走っていたうちの、まんなかあたりにいたひとりがコートの中央で転んでしまったことがあった。彼の両隣のふたりがそのことに気づかず、ひとり欠けた19人で走りきって、転んだ男性を飲みこんだシートはあっというまにコート全面を覆ってしまった。巨大なブ厚い防水シートである。重量も相当なものだ。全面を覆ってしまうとシートはほぼ平らに見えて、中に人がひとり隠れているとは分からないようになってしまった。たいへんな事態である。このまま気づかれずに雨が降っているあいだずっとシートの下敷きになっていたら、彼は呼吸もうまくできずに押しつぶされてしまうだろう……!

さいわい、テレビカメラは異常に気づいており、男性がとじこめられているとおぼしき周辺のシートをクローズアップで写していた。日本の実況アナウンサーも「ひとり転んでしまった人がいます」と心配そうに実況していた。そして、雨だけれど観客席で傘を広げて待っていた観客たちもすぐに騒ぎ出し、指をさして口々に異常を訴えたので、ほどなくシートは半分ほど引き開けられて、男性は無事に救出された。怪我もなかったようで、肩を支えられて助けあげられた男性は元気であることを示すように大きく手を振った。一連のできごとを固唾を飲んで見守っていた観客席からは、大きな拍手が沸きおこったのである。

 

雨が降ってプレイが中断しているものの、深夜の生中継なので、そんな珍事もずっと放映されていた。とはいえ中断のあいだはひたすら待つばかりで、なにか特別なできごとはめったに起こらない。ほとんどの場合はシートをかけてしまうと、あとはずっと雨止みを待つだけのほぼ静止画状態を眺めていることになる。濃緑のシート。選手はとっくに控室に下がっている。席を立つ観客も多いけど、レインコートを羽織ってじっと待つ人も多い。

遠く離れた外国のテレビで見ているこっちも退屈だ。でもチャンネルを変えたところで砂嵐が流れているだけで、ほかに見るものはない。ここまでの試合のハイライトシーンなどをリプレイで流してくれればよさそうなものだけれど、当時はまだそんなにすばやく編集作業ができなかったのだろう。名場面をふりかえる時間に充てられることは少なかったように思う。実況の人も解説の人も、長い雨の間(ま)を保たせるほど話題がたくさんあるわけでもないし、カメラに写るわけでもないから、マイクをoffにして休憩するしかなかった。そんな状態で、酷いときは2時間も3時間も待つのだ。

 

雨がやみそうな気配を感じると、コートの中でわずかに動きがあり、観客たちの間にもざわめきが走る。やんだと判断されると先ほどの20人ほどがたちまち現れて、掛けたときと同じようにすばやい動作でコートからシートを片づけてくれる。待ち構えていた観客たちは大喜びで拍手。実況席のマイクもonになる。

しかしながら、大会開催中の7月上旬のウィンブルドンの天気はとても変わりやすいようだ。イギリスにも梅雨があるのかどうかは知らないが、断続的に雨が降り、ひんぱんに試合が中断する。シートが外されて選手が戻ってきてやっと試合が再開しても、5分も経たずにまた雨が降ってきて中断することが何度もあった。整列した20人がまた走る。右から左へ走ってシートをかぶせ、左から右へ走ってシートをひらく。買うた止めた音頭ならぬ、降った止んだ音頭である。観客たちはため息をついて、傘をひらくしかない。

 

20年以上前のある日のウィンブルドンその日の試合も雨で中断していた。対戦していた選手が誰だったのかは覚えていない。運悪く一度の中断ではすまず、降った止んだ音頭は3回くらい繰りかえされていた。シートを開けたと思ったら、試合再開せずにまたすぐシートをかぶせたこともあった。期待をスカされた観客たちのイライラはどんどんつのっていった。

ほかの大会に比べて、ウィンブルドンに集う観客たちは特に紳士淑女ばかりである(と思う)。実に忍耐強く、礼儀正しく、根気づよく雨止みを待つ。観客の質が高い。自分が現地にいたらあんなに紳士的にふるまえるだろうか、ブーたれて貧乏ゆすりを止められなくなるんじゃなかろうかと自信がもてない。

ところが、だ。その日はあまりにも降った止んだ音頭が繰りかえされ過ぎた。待ち時間も長かった。紳士にも淑女にも、言葉にならないフラストレーションが溜まっていたのだろう。テレビの画面からは雨が降っているのか止んだのかよく見えないくらいの状態であったが、観客席から手拍子が発生し、それが次第に会場中に広がっていった。“雨は、やんだぞ、早く、試合を、再開しろ!”

しかし審判はまだ雨は降り続くと判断したのであろう。観客が無言の手拍子で催促しても、それに押し切られることなく中断を続けた。観客席からはじわじわと不満の声が漏れ出した。ブーイングだ。

お天気のことだもの、審判に文句を言ったところでどうしようもない。それは重々承知なのだけれども、それでも漏れてしまう不満の声。イライラが頂点に達しようとしていた。まるで暴動が起きる寸前のような雰囲気だった。奥の控室にいる選手たちの耳にも、その不愉快なざわめきは聞こえていただろう。精神集中を続けたいのにそんなブーイングが聞こえてきては、この先のプレイに支障が出てしまうかもしれない……!

 

観客席でなにか動きがあったようだ。

 

カメラが客席の一角を大写しにする。観客席の一部には張り出した覆いのような屋根が設えられていた。傘の要らない席、誰かが立ち上がっている。なにかをアピールしている。放送席の実況解説者もなにかがはじまりそうな気配を感じてマイクをonにした。

 

「だれでしょうか」

「えーっと、あれは、クリフ・リチャードさんですね。イギリスの有名な歌手のかたです」

「マイクが届けられました。なにが始まるんでしょうか……」

「そうですね、えーと……、こう言ってます。『中断が長引いて、早く試合の続きを見たい気持ちは分かるけど、もうちょっと待とうじゃないか。代わりに今からボクが歌うから、それを聞いてしばらく楽しんでよ』……!」

「あぁ、なんと! 英国の大人気歌手のクリフ・リチャードさんが、たまたま今日のウィンブルドンに観戦にいらっしゃっていたのですが、雨で中断のあいだを利用して、特別コンサートを開いてくださるそうです……!」

 

会場は大きな拍手。でもマイク片手にどうするんだ、伴奏も音響装置もないのに……、と思ったら、手拍子に合わせていきなりアカペラで歌いはじめた!

ボクはクリフ・リチャードなんて人のことはまったく知らなかった。歌いはじめた曲は、もちろん彼の有名なヒットソングなのだろうけど、聞いたこともない。解説の人は「イギリスの人なら誰もが知っている大物歌手です」と紹介してくれたけど、日本での知名度はどれくらいなんだろうか。

長めの髪・明るいチェック柄のジャケット・薄い色のサングラス。上層の客席で立ち上がってはいるけれど、まわりの人たちも応援するようにスタンディングで手拍子しているので、彼はいささか小柄に見える。通路を行ったり来たりしながら、じつに気持ち良さそうに歌うクリフおじさん。

歌い終わるといっそう大きな拍手。またなにごとかをしゃべるおじさん。英語で。コップを受けとって水を飲む。どうやらリクエストはある? と会場に向かって訊いているらしい。そして次の曲を歌いはじめる。会場は大盛りあがりだ。

4〜5曲、いや6〜7曲も歌ったろうか。ヒット曲がたくさんあるのだ。どの曲もとても有名なのだろう。観客たちはみんな大喜びの様子だった。グラフだったかな、試合を終えたか解説席にいたと思われるレジェンドテニスプレイヤーも、感謝の意を伝えにクリフおじさんの席に行って、手を叩き、並んで歌を歌っていた。

 

いやはや、たいしたショーだった。20〜30分くらいだったろうか。ウィンブルドンで突如始まったクリフ・リチャードのアカペラライブを、日本の深夜のテレビで見ることができた。生放送で。彼がどんな歌手なのかは知らなかったけれど、とても素晴らしい人だということは分かった。伴奏無しで、たぶん音程もはずれず・正しくじょうずに歌うことができる人だということも分かった。ボクは音楽のことはまったく分からないので歌が上手いのかどうなのかはなんとも言えないのだけど、クリフ・リチャードさんがとても良い人だということはよくよく分かった!

 

夢のような特別リサイタルは終了した。雨はまだ降っていた。もうしばらく中断は続きそうだった。でも、その後はもう観客たちはせっかちに試合再開を催促することもなく、元どおり紳士淑女然として天候の回復を待った。ボクもテレビの前でぼんやり待っていた。もうそろそろ朝になりそうな時間だった。

そのあとの試合がどんなふうだったかは覚えていない。日没サスペンデットで翌日に持ち越されたんじゃなかったかな。どんな試合だったかは忘れてしまったけど、彼のことは忘れられない思い出になった。クリフ・リチャード

 

音楽のことは知らないし興味もないボクなのだけど、クリフ・リチャードさんには敬意を払いたくなって、後日CDショップへ足を運んだ。洋楽の「ク」のコーナーを探した。「クリス・クロス」の隣が「クリフ・リチャード」だった。なぜかクリス・クロスのことは知っていた。服から靴からパンツから帽子までぜんぶ反対向きに着る男の子ふたり組でしょ?

あの日歌われた曲の中で、特に耳に残った歌があった。なんという曲なのかは分からない。歌詞も聞き取れなかった。耳が覚えているなんとなくのフレーズを繰り返しながら、クリフ・リチャードのBEST版CDの曲目リストを眺める。サビで幾度も繰り返されたフレーズが曲のタイトルである可能性が高いと思ったのだ。今ならGoogleWikipediaで曲目リストを探せば2分とかからずに判明するのだけど、当時はそうやってお店でCDを漁って視聴させてもらうくらいしか見つけ出す方法がなかったのだ。

♪んんん、んんん、はちゃちゃちゃー、にゃーにゃにゃにゃにゃにゃー♪ なんどもくり返して探し続けて、該当するっぽい曲名を見つけることができた。『Bachelor Boy』。

 

バチェラーボーイ

 

バチェラーパーティという言葉は知っていた。向こうの小説かドラマでそういうシーンがあったんだと思う。バチェラーって雑誌のことは当時から知っていたかな、どうだったかな? 覚えてないや。

店員さんにお願いして試しにその歌を聞かせてもらうと、たしかにあのとき歌われた曲だった。でもCDのほうがずいぶんテンポが早い。急かすような印象だ。ウィンブルドンで歌われたときはゆったりとした調子だった。なだらかな歌だと感じていたのに、録音されているオリジナルはどんどん追いたててくる。思っていたのと違う。思い出が上書きされてしまう。でもボクはCDを購入した。たぶんもう聞かないだろうと思ったのだけれど、クリフおじさんへの感謝の念をここで示しておきたかったのだ。

 


 

ウィンブルドンの観客席でクリフ・リチャードがバチェラーボーイを歌った、という思い出を書きたかっただけなのが、ずいぶん長くなってしまった。

今年のウィンブルドンが始まる前に書きあげたかったのだけれど、だらだらしていて間に合わなかった。反省。