パスタを折る

休日の朝はコーヒー一杯だけ。

午前中はだいたいぼんやりしている。昼が近くなると腹が減ってくる。そこで鍋いっぱいの湯をわかし、おもむろにパスタを折る

 

 

学生時代はひとり暮らしをしていた。入学してしばらくは大学からかなり離れた古いアパートを借りていたが、ひと冬越したところで親戚がもう住んでいないマンションを使えといってくれた。空き部屋のまま置いておくのも不用心だし、いきなり知らない人に貸すのもためらわれるということで、身内の甥っ子に格安で使わせてくれたのだ。

大学生の身では分不相応な規模と立地のマンションで、こういっちゃなんだが、中年も半ばを過ぎた今日に至る人生において、価格的にも設備的にも一番“良い”物件だったと思う。地方都市の中心部・繁華街を見下ろす高層フロア・管理人常駐。周りには大学生なんて誰も住んでいない。

大学まで歩いて10分くらいかかる場所だったが、不真面目な学生のご多分にもれず、越してからしばらくするとほとんどまったく講義には出なくなった。誘惑の多い街に住むようになったせいでもあるが、なにせ貧乏であったし、遊び呆けるほどの甲斐性もない。何をしていたかというと、ひたすら映画を見ていた。

アーケードになっている繁華街とその周辺には10や20も映画館があった。前日深夜までバイトして、帰宅して、明け方ふとんに入る。昼過ぎに起床して、新聞の映画欄で公開中の作品のタイムスケジュールを確認し、まだ見ていない映画でちょうどそろそろ上映開始時間になりそうなのを見つけると、部屋を出て、のろのろ歩いて映画館までゆき、映画を1〜2本見る。そうこうしているうちに夕方からのバイトの時間になるので、てきとうに腹の中に何かを入れて仕事にゆき、深夜に仕事を終えて、ラーメンを食べて帰宅し、テレビを見ながらだらだら過ごし、窓の外が明るくなってきたころに眠気がやってくるので、ふとんに入る。

とても忙しくて、大学の講義に出席する時間なんてなかった。

 

当時映画を何本くらい見ていたのかを数えてみようとしたのだけど、無計画かつ見たそばからすぐに内容を忘れてゆくという悪弊のせいで、なんど数えても正確な数が分からない。年に70〜100本くらいは見ていたと思う。4年間で250から300くらいか。ほぼすべて劇場で見た。朝いちばんの上映でも11時くらいからなので午前中が弱い自分でもなんとかなったし、宵っ張りゆえとくに好んだレイトショーで深夜0時をまわっても終電を気にする必要がなく、歩いて帰宅できる。オールナイト上映で朝の4時に街に放り出されても、10分後にはふとんに入って眠ることができた。

まだシネコンはほとんど無かった。チケットの購入は劇場窓口か金券ショップである。インターネットもなかったからシネ評を口コミで知ることもなく、なんちゃらウォーカーとかなんちゃらタウン情報といった月刊雑誌をチェックしてはひたすら数をこなしていった。視聴数をコレクションするみたいなイメージだ。少なくなってはいたが、2本立て上映もまだ健在だった。ありがたいことにいわゆる名画座も近くにあって、支配人が厳選したすこし前の名作を2本1,000円で上映してくれていた。

たいてい上映の最中に居眠りをした。お金を払って劇場にいって映画も見ずに眠ってしまうんだったら、家でレンタルビデオでも見ればいいじゃないかといわれるが、家でテレビで映画を見るのはとても苦手で、まったく集中できない。映画館の暗がりでのんびり座ってリラックスすることが必要だったのだ。

 

覚えている限りで、当地で初めて見た映画は『蜘蛛女』である。1994年6月、レイトショー。名作『蜘蛛女のキス』ではなくて、邦題で強引にかの作品を連想させるかのようなタイトルに変更されていたB級。後部座席から両足を突き出して運転手の首を絞めて殺そうとした女のイメージしか覚えていない。その次に見たのは『ペリカン文書』と『日の名残り』。そして『カルネ』『トリコロール3部作』『パルプ・フィクション』『ショート・カッツ』『クロウ/飛翔伝説』などなどと続く。

心酔したのは『パルプ・フィクション』。3回見た。惜しかったなと感じたのは『ナチュラル・ボーン・キラーズ』と『タンク・ガール』。あまりに酷くて逆に記憶に残っているのは『クルーレス』(これは『ジェネレーションズ/STAR TREK』と2本立て同時上映だった)。そしていちばんたくさん見たのは『マトリックス』。5回見た。そのうちの4回は「初めて見る」というていで別々の女の子といっしょに見にいったのだけれど、それきっかけで特に何かあったわけでもなく、なぜボクが相手に選ばれたのか分からない謎のモテ期であった(今ではちょっと想像できないけど、もしかしたら当時は『マトリックス』みたいなマニアックでオタク向けの映画を、女の子がひとりで見にいくのはためらわれるような雰囲気があったのかもしれない)。

 

たくさん映画を見た。そしてそのほとんどすべてを忘れてしまった。得た物が何かあるのだろうかということを考えたことはないけれど、人生のある時期に、ひたすら映画を見続けた期間があったことは得難い経験であったな、とは思う。

 

『マイ・ライフ』、1993年の作品。ティム・バートンビートルジュース』および同監督版『バットマン』&『バットマン・リターンズ』の怪演で大人気となったマイケル・キートンの主演作である。スマッシュヒットの連発で気を良くしてくれた配給会社が頑張っちゃったのか、Mキートン主演作に期待される派手なところのまったくない、ハートフルなヒューマンドラマまでもが日本で公開されたのだ。

例によって、映画の内容はほとんど覚えていない。Mキートンは余命幾ばくもない不治の病で、妻は妊娠していて、でも子供が生まれてくるまで自分の命が保つかどうかおぼつかない。そこで生まれてくる子供のために、生きているうちに教えてやりたいことや伝えておかなければならないことをすべてビデオに録画して残しておこうとする物語である(だったと思う)。

子供は男の子だ。まだ赤ちゃん(の時に見せる用のビデオ)にMキートンは、子守唄を歌ったり、絵本を読んであげたりする。読みながら自分で感極まって泣いたりする。すこし大きくなってくると、キャッチボールの相手をしているふうの(当世でいうところのVRっぽいの)を撮ったり、同級生とけんかになった時に機先を制するためのちょっぴり卑怯な一撃のコツを伝授したりする。もう少し大きくなってくると、おしゃれについてアドバイスしたりもする。

マイケル・キートンはもともとスタンダップ・コメディアンである。彼が家庭用ビデオカメラを据え置いてその前で息子に語りかけるていで自撮り撮影をおこなうのだが、そのしぐさがいちいちおもしろい。本人は大真面目に説明しているだけなのだが、一挙手一投足に細かいくすぐりを散りばめてきて、見ているほうをまったく飽きさせない。こちらが嫉妬したくなるほど抜群に上手いのだ。

 

君がパーティに行くとき、注意しなければならないことがある。いいかい、パーティ会場に入るところからもう勝負は始まっているんだ。扉を開けて、階段を下りて、フロアに立つまでのあいだに、どれだけキメられるかでその夜の主役が決まる。ちょっとやってみせよう。たとえばこんな感じ。こんなふうにためて、一同をゆっくり眺め、そしておもむろに歩みを進める。今のはちょっとフォーマルなパーティの場合だ。もっとシックな会場のときは、さらにじっくり、こう、優雅に。左右に微笑みを向けるのを忘れるな。それから次はカジュアルなパーティの場合。あまり構えるな、かたくるしくふるまうと緊張しているチキン野郎だってことが一瞬でバレる。肩の力を抜いて、うん、こんな感じだ。そしてもっとカジュアルなときはこんなふうにやれ」(といって、両開きの扉をバーンと押し広げて、ヒャッホーと奇声を発しながら飛びこんでくる)。

 

映画の内容をはっきり覚えていないので、以上の描写はすべて適当に書いている。だから映画にこんなセリフは無いかもしれないけど、まぁだいたいこんな感じだったんじゃないかな。

あらためて確認するが、劇中のMキートンはもうすぐ死ぬ。生まれてくる息子にはたぶん会えない。自分が生きているうちに、父親として息子に伝えなければならないことを駆け足で録画している。ふつうなら子供の成長に合わせて、その都度話してやったり教えてやったり悩みに答えてやったりしたいところを、残された半年ほどの時間の中であれもこれもとすべてビデオに記録しようと一生懸命になる。息子がやがて経験するであろう喜びも悲しみも、父親としていっしょに寄り添ってやろうとする。

 

そろそろ、SEXについて話をしよう。君ももう知っておくべきときだ。それはつまり……、(言いよどみ、宙を見つめながら両手を所在無さげにかきまわし、しばらく沈黙した後、気まずそうに)……いや、また次の機会にしよう」(といってそそくさと録画を切る)。

 

まだ生まれていない息子は成長して、やがて大学生になり、一人暮らしを始める。都会のボロアパート、狭い部屋に住んでいる。貧乏暮らし。自炊している。慣れないので、自分ひとりぶんの食事を作るのもうまくできない。そこでマイケルお父さんのアドバイスだ。

 

パスタを茹でろ。簡単で、すぐに腹が膨れる。何をかけても美味い。鍋に湯をわかして、茹でればしまいだ。失敗することはない。え? 鍋が小さすぎて、長いパスタの麺がはみ出してしまうって? そんな時はこうするんだ……

 

といって、茹でる前のパスタの束を両手でむんずとつかみ、力をこめて半分にバキッと折り、煮たつ湯の鍋に勢いよく放りこむ!

 

ほらね

 

得意げに肩をすくめるマイケル・キートン。録画off。

 

このシーンは『マイ・ライフ』という映画の中で特に重要な場面というわけでない。録画された無数のビデオテープの中のほんの一場面だ。意味ありげな伏線でもなく、結末にもからんでこない。

『マイ・ライフ』を見たのは二十歳そこそこの頃。自分の状況的には劇中のまだ生まれていないけど大学生になっちゃった赤ちゃんのほうに近かったんだけれど、見ている時はずっと父親のほうの気持ちになっていた。

とうぜんのことながら、当時のボクにまだ子供はいない。気配もない。でもマイケル・キートンのふるまいに、父親としての正しい姿を見た。

 

そうだ、パスタを折ろう。

 

ひとり暮らしのボクは、自分用によくパスタを茹でていた。学食やコンビニ弁当や近所のラーメン屋で食事を済ませる以外では、自宅で食べた物は素茹でのパスタがいちばん多かったと思う。いつも1kgの束を買っていた。安かったからだ。鍋はひとり用だからそんなに大きくなかった。たっぷりのお湯を沸かしても、100gか200gのパスタは上にはみだしてしまう。それまでのボクは湯に浸かっている下半分がやわらかくなるまで1分ほど待って、突き出た乾麺を上からぐいぐい押して、鍋の円弧に沿うようにぐんにゃり曲げて麺全体を湯に沈めていた。

 

折ればよかったんだ。

 

さっそくボクは自宅のコンロに鍋をかけ、湯を沸かした。乾いたパスタの束を両手で掴んだ。力をこめて半分に折った。まっぷたつに折れると思っていたら、まんなかあたりで粉々になった細かな破片がそこいらじゅうに飛び散った。気にするもんか。ボクはキートンに倣って、手に持った麺を勢いよく鍋の中に投じた。お湯が跳ねた。あやうく火傷するところだった。

 

7分待って茹であがった麺に適当なソースをからめて食べた。その当時は生卵を落として食べるのが好きだった。半分に折って茹でたパスタは、フォークで持ち上げて口へ運ぶと、やっぱり短かった。長い麺をツルツルツルっと食べたいんだけどな、ツルルっくらいで終いだ。物足りなく感じた。折りたくないな、長いまま食べるほうが好きだな、とも思った。

 

でもこれは、父親から子へと伝えなければならない大切な教えだ。

 

この先ずっと、このやりかたを守らなければならない。

 


 

日曜日の朝、遅く起きる。朝食は摂らない。コーヒーを飲む。ぼんやりと、今日は何曜日だっけ、みたいなことを考える。今日は何月だっけ、と思うこともある。とくに何もしないまま、しばらくじっとしている。

 

やがて、子供らがリビングにやってくる。父ちゃん、お腹すいた、お昼まだ? そうか、もう昼か、言われてみれば腹が減ったような気がする。なに作ろうか、パスタだ、パスタがいいな。簡単だし、すぐできあがるし、美味いし、安い。よし、任しておけ。オレは学生時代パスタで命をつないでいたんだ。父ちゃん、またその話。そりゃそうさ、何度でも話すよ、パスタを茹でるには手順があるんだ。まずは大きな鍋。たっぷりのお湯。ひとつまみの塩。茹であがったあとにすぐにお湯が切れるようにザルを用意しておかなければならない。すかさず湯切りしたあと麺がくっついてしまうのを防ぐために、オリーブオイルをまぶすんだ。ソースが冷めていると悲しいから、茹であがり時間に合わせてちょうど温まるようにしておけ。お、お湯が沸いてきたぞ。どれくらい腹が減ってる? 100g? 150g? オレは2束はいけるな。余ったら父ちゃんが喰うから多めに茹でよう。よし、コレくらいか、そろそろだな、いくぞ、ではいよいよ茹でるぞ、見てろよ……!

 

そういってボクは、おもむろに、パスタを折る。