迷子になりたい!(後編)
自分の誕生日に欲しい物をねだったことがない。だからというわけでもないが、一度くらいはわがまま言ってもいいかな、と思った。
前編はこちら→
ランズボローという名前をきくと、あまずっぱい思い出がよみがえる。'80年代半ば、日本全国で「ランズボローメイズ」という名前の巨大迷路が大流行した。板壁で囲まれた通路が複雑に行き交う迷路の中に入っていって、4つのチェックポイント「M」「A」「Z」「E」を通過してスタンプを集め、ゴールをめざす。当時小〜中学生だったボクはこの巨大迷路にむちゅうになった。自宅の近くにもランズボローメイズがひとつあったので、友達を誘って自転車に乗って、坂道をえっちらおっちらのぼって迷路遊びに興じていた。
迷子になるのがヘタクソな性質の人間にとって、巨大迷路という設備は「強制的に迷わせてくれる装置」である。まだ飲酒の快楽を知らない未成年にとっては、酩酊の甘美さを味わわせてくれるほとんど唯一の存在ともいえる。
人は手に入らないモノを欲する。己が所有していないモノを欲しがる。存在することを知らなければ欲しがることもなかろうに、この世にそういうモノがあると知ってしまったときからは欲望の虜に堕ちてしまう。迷うことを知らないでいた自分が、迷う楽しみを知り、巨大迷路ブームが過去のものとなってしまったいま、迷いを求めてさまようはめになろうとは、なんの因果があったのだろう。
もはや誕生日プレゼントを欲しがるような年齢でもないのだけど、今年は早くからおねだりしてあった。
「迷子になりたい」
そのままズバリ願いを叶えられると、目隠しと猿ぐつわされたまま荒野に放置されて、まるで虐待されているかのようなことになりかねないので、きちんと順をおって要望を伝えた。自分は降りる駅を知らずに電車に乗ったことがない・人の後ろについて歩いてどこに行くかわからないまま連れまわされたことがない・目的地を内緒にしてもらってただひたすら受動的に歩いてみたい。
希望をまず息子に伝えて、彼から妻と娘にも伝えてもらった。どこに行くのかはけっして漏らさないでくれ。行ったことがある場所でも、選ぶ道がちがったら新鮮な気持ちで歩くことができるから問題ない。電車に乗っても乗らなくてもいい。明確な目的地がない状態でうろうろするだけでもいいけど、ボクの後ろからついてくるのはやめてほしい。ボクはみんなのあとからついていきたいんだ。
望みを伝えたのは昨年末のこと。春の誕生日まで4ヶ月もある。しかし息子は頭をかかえた。父ちゃんが満足するような場所なんて思いつかないよ。いいんだ、どんなところでも。ただいつもと違う景色を見たいだけなんだ。……わかった、考えてみるよ。
雪がとけて春になった。
週末の誕生日当日が近づいてきた。一週間ほどまえからそわそわしている自分に気がついた。それとなく様子をうかがってみると、どこに連れていってくれるか目的地はもうちゃんと決めてあるらしい。よかった。忘れていたとか考えてなかったとか、適当に近所をまわって終わりにするとか、そういう事態を半ば覚悟はしていたのだけど、それはあまりにも家族を信用しなさすぎってものだった。あらためてどこに行くのかは明かしてくれるな・内緒にしておいてくれと伝えたところ、知りたくないなら聞き出そうというそぶりをするのではなく、ただ黙っていればいいと逆に釘を刺された。いいぞいいぞ、いい感じに不安になってきたぞ。
誕生日3日まえに、いちばん口が軽そうな末の娘にどこにいくのか知っているのかときいてみたら、知っているけど知らない、との返事がかえってきた。ケムに巻いているわけではなくて、それがどこであるという名称は了承していても、具体的にどういうところなのかはわからない(知らない)という意味であろう。これにより、少なくとも娘はこれまでいちども訪れたことがない場所であることがわかった。そしてボクは、こっそりカマをかけていたのがバレて、知りたくないのなら聞きだそうとするな、とまた嗜められた。
誕生日前日の金曜日はそわそわがいっそうまして、仕事を終えると急いで家に帰った。翌朝は何時に家を出るつもりかと訊くと、9時すぎには出発したいとのことであった。suicaは要るかと訊くと、持ってゆくという。つまりこれで電車に乗ってあるていど離れたところまで出かけてゆくのだというところまでは推測できた。しかしこれ以上いろいろ質問するとまた叱られてしまうし、なにより自分で自分の興を削ぐこともないだろう。だから、ぐっと我慢して、あとはいろいろ予想しながら翌日の朝を待つことにした。
2017年4月15日は快晴であった。
約束どおり、ボクはみんなのあとをついてゆく。
おぉ、これはなかなか新鮮な景色だ!
オオカミ王ロボをきどるわけではないが、自分が先に立って歩く習慣にしばられすぎていた。ボクの中の赤木軍馬がなんぴとたりともオレの前は走らせねぇと叫ぶのを、抑えきれていなかったことを思い知らされる。まだ家を出てから200メートルくらいしか歩いていないのだけれど、もうすでに感動している。
なんと、道ばたの花を愛でる余裕すらある!
しかもこの花の写真をすぐさまLINEで送って、植物に詳しい人に名前を教えてもらうことまでできる!(シャガという花だそうです)
しかし駅についていざ電車に乗るぞという段になると、上りに乗るか下りに乗るかもわかっておらず構えができていなかったので、いささかあわてる。
横浜の自宅を出て、電車に乗り、多摩川を渡って東京都に入る。このあたりまでは予想どおりの展開である。
それにしても……、
いつもはドアtoドアになるように乗る車両を決めていてめったに変更しないから、ふだん乗らない車両の窓から見える景色が、知っている駅でもまったくちがうふうに見える。ただそれだけのことで、停車するたびにここはどこだ?というプチ混乱を味わえる。
見たことのない絵があって、楽しい。
こんなすき間に自転車置場があったんだ、という発見が楽しい。
側溝の蓋が斜めになっているだけで楽しい。
このはしご段を登るひとの姿を想像して楽しい。
ごくごくわずかな斜めのすき間から見える東京駅の赤いレンガの贅沢な味わいが、なんともいえず楽しい。
クレヨンしんちゃん+尻なんて、楽しいに決まってる。それにしてもめでたい日に公開する映画なんだな。大ヒットまちがいなしじゃないか!
上野の駅ではちっとも上野っぽくないところで停車して、それがまた味わい深い。上野 → 動物園 → パンダ → 中国 → 緑色に塗られた斜面……、というつながりなんだろうと妄想する。
……しかしこのあたりから呑気に楽しんでいる気持ちとは別に、そろそろ降りる駅が気になりはじめてきた。
上野からひとつ北にきただけの鶯谷でもう、この雰囲気。
日暮里なんて広告看板すらない崖。
このまま電車に乗っていたら東京を通過して、埼玉までいっちゃうよ……。
ちらっ、ちらっと家族の様子をうかがうのだけど、いっこうに降りる気配がない。
どうするのさ、ポケモンGOの地図すら表示されないくらいの田舎にきちゃってるんだけど……!
わー、山手線の外側に出ちゃったじゃん!(写真は中里トンネル北出口)
飛鳥山だ。よし、腹をくくろう。こうなったら大宮だろうが岩槻だろうが春日部だろうがどこまででもつきあってやる。
……と思ったら、娘が靴を履き直しはじめた。お、これは降りる気配じゃないの?
やっぱり降りた! ……あかばね??
ははぁ、なるほど。ここで埼京線に乗り換えるつもりだな……。
あれ……、改札出ちゃうの……? でもここ赤羽だよ!!
本当に出ちゃった。赤羽で降りて駅の外に出るのは初めてかもしれない。地図を見てもどこがどこだかさっぱりわからない。
なにか困った時には参照できるかもしれないから、とにかく片っ端から地図を撮る。
埼玉高速鉄道って南北線のことだよなぁ。いざとなったらここにたどりつきさえすればなんとかなる。
おぼれるものは藁をもつかむ。迷えるものは地図っぽいパンフレットをもらっておく。
みんなどんどん歩いて、駅前の繁華街に入ってゆく。
マスコットキャラクターの「あいちゃん」は材質がゴムっぽいなー、と思いながらついてゆく。みんな迷わずどんどん進んでゆくから大急ぎだ。
と思ったら、迷ってた。3人でスマホの地図ナビ見てる。そうそう、こういう姿を見てみたかったのよ。
いい感じの店があった……、
……が、通り過ぎる。
「馬鹿だね祭」?
名称のインパクトはすごいけど、どんな祭なのかはさっぱりわからない。
さて、どこへいくのだろうと思っていたら、児童公園に入ってベンチに座って休憩しはじめた。……え、まだ10分も歩いてないよ??
腰痛もちのボクは低いイスに座ることができず、ぼんやり立ったままおちゃとらかの兄妹を眺めるしかない。もう歩かないのかなぁ……。
ランチの予約をしていたお店がまだ開店前だったのでしばらく時間をつぶしていたのだった。11時になったので入店。あっというまに満席になる人気店だったので、予約しておいてもらえてありがたかった。
ドイツのビールと肉ピザをおいしくいただく。2本目のビールを注文しようとしたら、「これからたくさん歩くから控えたほうがよい」と忠告された。このときはまだ、そんな大げさなこといってるけどどうせたいしたことないんでしょ、とたかをくくっていた。
がっつり食べて、それでは歩きましょうとスタート。どうやらここからが本番らしい。
わりと早足。
やさしい気持ちはあるのだろうけど、待ってくれない。
どんどん歩く。
川だ!
東に向かって歩いていることはわかっていたのだけど、何という川なのかはわからない。中川かな?と思っていた。
どんどん歩いて足立区に入った。都内に戻ってきた、と思った。赤羽を埼玉県だと思っていたのだ。
かなり暑い。
また川だ! こんどは荒川であることはすぐわかった。じゃあさっきのが中川なわけがない。隅田川ってこんな北のほうから流れてたっけ?
河原でのんびりひなたぼっこでもするのかと思ったら、そんなそぶりすらみせず、ひたすらまっすぐどんどん歩いてゆく。
このあたりで日暮里舎人ライナーのことを思い出した。このまま幹線道路をまっすぐ東進すると、南北にまっすぐ走る新交通システムの高架にぶつかる。とすると、目的地は西新井大師ではなかろうか。そうだ、違いない。門前で団子でも食べるのだろう!
予想はあっさりはずれた。途中で北に進路を変えて幹線道路をはずれ、細い道をジグザグに進みはじめた。橋の手前で道路を渡って南側の歩道を歩いていたのに、また渡り直して北に進むとは思わなかった。いずれ北に向かうなら、北側の歩道を歩いていればよかったのに、と思ったが、南からの日光を避けるために南側の歩道を歩いていたのだという。なるほど、細やかな気配りだ。
ところがここで思いがけないことに、雨が降りだした。あんなに晴れていて暑かったのに、天気予報にも書いていなかった雨だ。ほんとうはもっと北に向かって歩きたかったらしいが、不測の事態に備えて、すぐに雨宿りできる日暮里舎人ライナーの駅にむかうことに予定変更。
なんと読むのかわからない駅に到着。「谷在家」……、たにあるけ? 歩け??
雨雲レーダーをみると頭の上ざあざあふっていることになっているけど、天気雨で濡れてもほとんど気にならないレベル。よしこのまま歩き続けようということになって、北進再開。
ラストスパート。
日が戻ってきた。
舎人公園に到着。ここが目的地だった!
さっき降った雨を避けたせいか、園内に人はまばら。
「代々木公園よりずっと良いところだね!」
まだ一部は工事中。
「小金井公園よりよく滑るね!」
「滝野霊園のほうが滑るよ!」
というわけで、のんびり休憩して、おやつ食べて、帰りは日暮里舎人ライナーに乗ってびゅーんと帰宅路。約10kmほどの徒歩旅行はこれでおしまい。
赤羽という意外なスタート地点から目的地が舎人公園というのは、最初から最後までまったく予想できず、迷いたい/後ろについて歩きたいというボクの欲求を完璧に満たしてくれているものであった。大満足。何度も感謝の意を伝えた。まさに、こういうのを楽しみたかったんだよ!
詳細地図。
道中、スネークキューブで娘が作った「宇宙を飛来する謎の物体」。
彼女にとって10キロも歩くのはいささか重かったらしく、翌日曜日はいちにちじゅうごろごろしていた。無理させて悪かった。つきあってくれてありがとう。
……さて、来年の誕生日はなにをおねだりするかな?