鉄が打てる

特技はなんですか? と訊ねられて「絵が描けます」と答えた。


 

物には名前がある。事にも名前がある。名前がないようにみえるものでも実は知らないところできちんと名前がついている。


なんとなくぼんやりと“こういうことってあるよなぁ”と思っていたことがある。でもその“こういうこと”に名前があることを知らないままずっとすごしていると、似たような事や物がくりかえしあっても、どう言い表していいのかがわからない。“こういうこと”を説明するために具体的な内容を最初からこと細かに話さなければならなくて、そのつどずいぶん時間がかかってしまうし、うまく伝わる保証もない。


漢字の書き誤りについても“こういうことってあるよね”と感じていた内容があったのだが、先日ようやくそれにも名前があることを知った。

 

 

鉄火丼」の「鉄」の字が「金偏+火」になっている。これを「逆行同化」というのだそうだ。こういうことってあるある……!


ちゃんと名前がついていた。いままではこれと同じ現象があっても、アーでコーでアーなってコーなってアレよアレアレほらわかるでしょ! と長々と話をして、そんなに苦労してもあいまいにしか伝わらなかったものが、この「逆行同化」というひとことであっさり言い表せる。なんて素晴らしい言葉なんだ。神は光あれとつぶやいたあとに、逆行同化あれとつぶやくことも忘れなかったらしい。

 


 

大学にはいったときの話だ。1994年か95年くらい。


なにかサークルにはいろうとおもって、新歓の旗を目印に学内をうろうろ歩いていた。高校時代はずっと油絵を描いていた。大学にも美術系のサークルはあったが、なにかちがうことを始めたかった。絵を描くのはひとりでこつこつとのめりこむ表現だ。どう表すか/どう表したいかの基準はつねに自分の中にある。まわりがなんといおうと、たとえコンテストに落選しようと、自分が表現したいとおもうものがカンバスに描きだされていればそれで完成の表現だ。そんな(悪くいえばひとりよがりの)表現活動に区切りをつけて、次はたくさんの人といっしょに表現をしてみたいとおもっていた。

 

お芝居をやろうと考えていた。ひとりではできない。人が集まって、役割分担して、ともに協力して公演の成功をめざす。ひとりが我をおしつけてしまっては表現がなりたたない。どこかで互いに折りあいをつけなければならない。そういうしばりのあるなかで表現を追究してみたかったのだ。

 

大学内には公式のもの・非公式のもの・アングラなもの・学内の一画を不法占拠したテントなど、いくつかの演劇系サークルがあった。稽古を見学させてもらおうとおもってそのうちのひとつに近づいていった。ベンチに腰かけた長髪で童顔の青年が、劇団の名前が書かれた段ボールの看板を風でとばされないように押さえていた。

 

見学させてほしいんですけど。


え、あ、はい、あ、どうぞどうぞ、座ってください、はいはい。

 

だれかに声をかけられるのを待っていたはずなのに、童顔くんはずいぶんあわてたようすでバタバタしながらベンチの席を空けて、ボクをむかえいれてくれた。

 

えーとえーと、じゃ、とりあえず、お名前きかせてもらってもいいですか?

 

彼はノートをとりだして、ボールペンをかちかち鳴らしながらボクに質問した。この時期に見学にきた人を記録する決まりになっているらしい。ノートには昨日までに見学にやってきたとおぼしき数人の氏名らしきものが書き連ねてあった。名前をこたえると、彼はまず日付を書いて、そのあとカタカナでボクの名前を書いた。名前の漢字を訊ねる手間も省けるし、伝えまちがいも起こらない。耳で聞いた音をひとまずカタカナで書くというのは正しいやりかただ。

 

特技はなんですか?

 

え?

 

なにかできることはありませんか?

 

一瞬、これは入団審査なのだろうか、といぶかしんだ。その気配を察したか、童顔くんはあわてたようにつけくわえた。いや、なんでもいいんです。せっかくだからどういう人なのかを知りたくて。特技とかおおげさに考えなくてもいいんです。高校のころに演劇やってたとか、なにかほかのことやってたとか、スポーツでもなんでも。そういう特徴というか個性というか、なにかひとつあれば書いておこうとおもって。

 

なるほど。で、冒頭の返事をした。

 

絵が描けます。

 

おお〜、と童顔くんはおおげさに驚いてみせた。絵が描ける!

 

ボクにだっていろいろ特徴や個性はあるとおもうが、まずいちばん分かりやすいのは絵が描けることだろう。絵を描く、ではなくて、描ける。描くことができる。自分なりのスタイルや画風が固定してあるわけではなくて、あるていど臨機応変に、どんな絵でもそれなりに描ける。〇〇ふうとか××みたいなとリクエストされれば、お望みのものを描くことができる。演劇をやっていくのならば、ひょっとしたら背景のカキワリなんかを描くことで役に立てるかもしれない。じゅうぶん売りになるだろうと思って自信のあるところを堂々と答えた。

 

絵が描ける、絵が描けるかぁ、すごいな、絵が描けるって。もごもご反復しながら童顔くんはボールペンをかちかち鳴らした。そしてノートのボクの名前の次の行に、その言葉を書こうとした。

 

「絵」という漢字は「糸偏+会」である。その漢字を書こうとしたときに、逆行同化が起こった。

 

まず「人(ひとやね)」を書いた。「会」の部首だ。糸より先に会がきた。後ろに影響されて前が変わった。でも「会偏」なんてのはない。会が左側にくる漢字もない。「人」の下に「王」を書いた。点をうった。ふたつ点。「金偏」になった。あれ、あれ、なんだっけ、といいながら、旁りの部分に「失」を足した。

 

「鉄」になった。

 

これ、絵じゃないな。童顔くんはできあがった漢字を見ながらいった。鉄ですね、とボクがいった。鉄だね、と童顔くんもいった。

 

ボクは正しい絵という漢字を説明しようと、手のひらに指で書こうとした。ところが童顔くんは「まぁいいや」といいながらそのまま文章を書きすすめてしまった。

 

「鉄が打てる」。

 

???

 

ノートには、日付・ボクの名前・そして特技として「鉄が打てる」と書きこまれてしまった。

 

……いや、ボクは鉄は打てない。

 

そろそろ時間なので稽古場に行きましょう、といって童顔くんは立ちあがった。ボクも立ちあがった。童顔くんはノートとペンと段ボールの看板を小脇にかかえ、先にたって歩きはじめた。ボクは後ろからついていった。

 

しばらくいくと、ちょうどおなじ方向にむかう別の劇団員が童顔くんをみつけて近よってきた。こんにちは、見学の人? ようこそ、よろしくお願いします、なんて名前? ふうん、なになに、ノート見せて。……鉄が打てる?

 

打てません、とボクは答えた。まぁいいじゃん、と童顔くんはいった。よくない。でもなんとなく、いちいち否定して訂正しなくてもいいと気づいた。鉄が打てる。うん、鉄が打てるでもいいじゃないか。鉄が打てなかったところで世界が滅びるわけでなし、絵が描けたって世界を救えるわけでなし。俺は絵が描けるんだぞとえらそうにふんぞりかえるより、鉄が打てます〜えへへ〜嘘です〜、と謎のボケ&ひとりツッコミをかますほうが、ひょっとするとおいしいんじゃないか。

 

そのときとっさにそこまで冷静に計算したわけではなかった。なにより緊張していたし、否定しつづけて書きまちがえた童顔くんを責めるようなニュアンスになるのもためらわれた。そしてちょっと「これって大学生っぽいなぁ」と感じていた。いいぐあいにいいかげんなところと、漢字が書けないところと。いいじゃないか、これくらいの雰囲気が。

 

このあと稽古場について、ほかの劇団員にあうたびに鉄が打てるの? → 打てません、のやりとりをくりかえした。ねぇねぇ鉄が打てるひとってだれ? と呼びだされた。まったく、なぜボクはきちんと鉄が打てるようになっておかなかったんだろう。のんきに受験勉強なんかしてないで、しっかり鉄が打てるように修行しておくべきだったのに。そんなことを考えながら1回か2回くらいは、はい鉄が打てますと答えたかもしれない。

 


 

「鉄が打てるになっちゃったやつ」としか説明できなかったできごとが、20年以上経って「逆行同化」という現象であることを知った。あれは逆行同化が生じる瞬間を目撃した貴重な経験であったのだ。

 

おそらく、この世のどこかの定食やさんには「絵火丼」と書かれたメニュー看板も置いてあるのだろう。