コカコーラで骨は溶けるか

小学校の夏休み、宿題の自由研究が大好きだった。

 

観察したり研究したり調べものをしたりといったお勉強ごとが特別好きだったわけではない。どちらかというと、夏休みが終わって新学期が始まってからクラスメートの前で研究を発表する場が好きだったのだ。

 

ボクが通っていた小学校では自由研究は発表とセットになっていた。内容よりも発表する行為が評価されれば(ありていにいうと、プレゼンがウケれば)高得点を得られるということにうすうす気付いていたので、夏休みのあいだは模造紙と格闘し、みんなに見えるように掲示する巨大な発表資料を描くのに夢中になった。


パワーポイントなんてもちろん無い。オーバーヘッドプロジェクタを使った投射もできない。OHPフィルムは高価で子供には扱わせてもらえなかったし、書き損じを修正することもできなかったからだ。文房具屋で模造紙を幾枚か購入してきて、鉛筆で下書きして、マジックで清書して、色鉛筆で色を塗るのだ。

 

大きな紙に割り付けをして書くのがまず楽しかった。文字よりも図示や表やグラフを多くして、パッと見てわかるレイアウトにするのにも工夫をこらした。内容には起承転結やら動機やら推論やら調査方法の試行錯誤やら実験結果やら新たな疑問点やら課題やらをてきとうに配して、一連の流れがドラマチックになるように構成するのがまた楽しかった。

 

プレゼンテーションが好きだ。舞台上に立って演出どおりにコトを運ぶのも好きだ。アドリブは効かないほうだけれど、アドリブっぽく見せかける対応策を複数用意しておいて、場合に応じてそれらの引き出しを開けることもある。周到に準備するのが好きなのだ。

 

ウケたいと思っても、あからさまに笑いを取りにゆくわけにもいかない。自由とはいえあくまで夏休みの宿題としての研究発表である。体裁はきちんと整えておかなければならない。学校で発表できる範囲内で自由度を見出し、飽きっぽい同級生たちの興味を惹き、先生からふざけていると叱られないような、内角高めギリギリいっぱいを攻めなければならない。

 

小学校1年生から6年生まで、毎年どんな発表をしたのかすべて覚えている。作戦を練っただけのことはあり、たいていまあまあウケた。しかし他のクラスメートも様々な工夫をこらした発表をくりだしてきて、ウケ合戦になった。インパクトの点で負けてしまうことも多かった。

 

たとえば、「時刻表の研究」と称して(当時はまだ国鉄だったが)時刻表をびっしり書き写してきたものを壁に貼り、朝いちばんの始発から延々と時刻の数字を読み上げていく、というワザをくり出してきたT谷くんの天然っぷりにはとうてい敵わなかった。

 

今にして思えば、自分はちょっと真面目すぎた。いわゆる子供らしさ・素朴さが欠落していた。優等生的研究に終始しており、内発的な動機や疑問を感じて追究しようとする意志が薄かった。あるていど結論が見えた状態から研究するテーマを選び、結末や結果の発見にむかって流れてゆくような構成を心がけていた。

答えを知った状態から初めているので、失敗はない。体裁よく出来てはいたものの、小手先のテクニックを弄するばかりで、発表の中にほんとうの意味での研究の面白みは薄かったように思う。

 


 

クラスメートの自由研究発表で、今日に至るまでこれには敵わなかったな〜、と思い続けているものがある。それが4年生のときの同級生S水くんの「コカコーラで骨は溶けるか」である。

 

今でも子供たちは親たちから「コカコーラを飲むと骨が溶けるよ!」と脅されているのだろうか。

ボクが子供のころは、コカコーラを飲み過ぎると骨が溶けるという言説が信じられていた。どういう理屈でコカコーラが骨を溶かすのか、あらためて考えてみるとさっぱり分からないのだけど、砂糖の取りすぎで虫歯になる → 歯が溶ける → 骨も溶ける、という連想だろうか。いずれにせよ、子供にコカコーラを飲ませないようにするための方便であったことはまちがいない。

嘘の脅し文句で子供の恐怖心を煽り、躾けようとするやりかたは酷いもんだと思う。当時なんて、コカコーラの飲み過ぎで骨が溶けてしまった子のレントゲン写真みたいな怪しげなものまで見せられたんだぞ。あんなのどこから持ってきたんだ?

 

小学4年生ともなると、コカコーラで骨が溶けるという脅されかたにも慣れてきて、その欺瞞にそろそろ気付きはじめているころである。しかしS水くんの自由研究発表は、まっこうからその疑問に勝負を挑んだ。ドーンと表紙にタイトル「コカコーラで骨は溶けるか」を歌い上げ、挿画にはドクロマークを添えた。キャッチーでインパクト大。聴衆すなわちクラスメートたちはいっぺんに心を奪われた。オレたちが知りたかったのはそれだ!


「夏は暑いです」

S水くんは語る。

「暑いので冷たいコーラをごくごく飲んでいると、お母さんが『コカコーラばっかり飲んでたら、骨が溶けるで!』と言ってきました。そこで、ほんとうにコカコーラで骨が溶けるかを実験することにしました」

 

研究の動機を簡潔かつ漏れなく述べるS水くん。

聴衆はうんうんと前のめりになって目を見開いている。

 

S水くんが模造紙のページをめくる。そこにはコップの絵が描かれている。

「まず、コップにコーラを入れました。その中に、骨の代わりのニボシを入れました」

 

骨=ニボシ。これほど説得力のある代替品もあるまい。

 

「1日め、変化無し。2日め、変化無し。3日め、変化無し。4日め、変化無し」

 

模造紙には律儀に、変化の無いコップの絵が毎日ぶんずらずらと並べて描いてある。まだフィルムカメラを現像するのにけっこうなコストがかかっていた時代だ。写真に撮って出力して貼付ける、ということはできなかったのだ。変化の無い紫色の液体の入ったガラスのコップを、毎日スケッチして彩色するのが正しいやりかただったのである。

 

ページの終点に来たので、S水くんは模造紙をいちまいめくる。次のページにもコップの絵がずらずらと続いている。

「5日め、変化無し」

現実は無情である。コカコーラはなかなか骨(ニボシ)を溶かしてくれない。聞き手はじりじりと骨(ニボシ)が溶けるのを待っているのに。

 

ここで動きがある。

 

「6日め、隣のクラスのK野くんが遊びに来て、ボクの実験を見て『コカコーラとちゃうで、骨が溶けるのはファンタレモンやで』と言いました。なので、コーラをやめてファンタにしました」

 

……!!

 

変化の無さにしびれを切らし、ついに動いたS水くん。コップのイラストの中身は紫から黄色に変わった。

 

「1日め、変化無し。2日め、変化無し。3日め、変化無し」

 

怒濤の展開に必死に食らいつく聴衆ども。耳をそばだてて、一言たりとも聞き漏らすまいとすべての集中力をS水くんの発表にむけている。

 

「4日め、腐った」

 

ぶちっ、と派手な音をたててボクらの緊張の糸は切れた。ニボシは腐った。コーラに浸けられ、ファンタレモンに晒されたニボシは、10日間の戦いの果てに、みんなの期待を裏切り、溶けることなく腐り、打ち捨てられた。

 

「結論。ファンタで骨が溶けるかどうかは分からなかった」

 

これでボクの発表を終わります。何か質問はありませんか、といってS水くんは教室のみんなを見回した。すぐにひとりの男子が手を挙げた。

 

「ファンタちゃうで、コーラやで!」

 

そうだそうだといっせいに同意するクラスメートたち。あのまま辛抱強くコーラに浸けておけばきっと溶けたに違いないのに、なぜファンタレモンなどに替えてしまったのだ。隣のクラスのK野が悪い。あいつのせいだ。K野がてきとうなことを言うから、せっかくの実験が台無しになってしまったではないか……!

 

このままでは隣のクラスに討ち入りに行きそうなくらいの興奮であった。

 


 

さてどうだろう、この自由研究発表は。


利口な大人はきっとこう言う。


もしコカコーラが骨を溶かすほどの力があったとしたら・もしコカコーラの中に浸けたニボシがシュワシュワとあぶくを出してどろどろに溶けていったとしたら、そんな硫酸みたいな液体を飲めるわけがないだろう……、と。


あたりまえのツッコミだ。しかし、そんなこと言っちゃうのはとてもつまらない。

 

疑問がある。解いてみたい。明かしてみたい。知りたい気持ちをこねくりまわして、出来る範囲・考え得る内容で検証しようと試みた結果が、ニボシの腐敗である。夏に10日間ニボシを置いておけば腐る。コカコーラで骨が溶けるかどうかは分からない。明瞭で完璧な結論ではないか。

 

利口でつまらない大人の横槍が入らない状態で、自分の頭で考え抜いた手法で成し遂げられた研究発表であったから、S水くんの「コカコーラで骨は溶けるか」は素晴らしい内容だったのである。

 

この研究発表をうけて、クラスメートからはさまざまな実験継続案の意見が出た。

 

腐らないように冷蔵庫の中で実験すべきだ。

ニボシ1匹まるごとは巨大すぎるので、砕いて小さなカケラにすれば溶けやすいはずだ。

コカコーラを濃くして(濃縮、と言いたかったのだがその言葉は知らなかった)やればいいと思う。

 

などなど。

 

みんな、コカコーラで骨を溶かしたくてたまらなかったのだ。