父親と息子

「むこうからふたりの男が歩いてくる。ひとりは老いていて、肩を落とし、いささか力ない。もうひとりは若く、さわやかな笑みを浮かべ、はつらつとしている。ふたりの表情は対照的だが、顔の造りや細かな身振りのクセなどに、どこか似通ったところがある。そのふたりの男はいっしょに歩いているのに、目を合わさず、ひとことも言葉を交わさない。……」

 


このような文章が書かれていたのは、河盛好蔵『人とつき合う法』新潮文庫)である。ざんねんながらもう手元に本がないので、この文章はうろ覚えで書いたものであり、正しい引用ではない。フランス文学の研究者である筆者が、若者向けにさまざまな間柄の他人とどのようにつき合うかを記した指南書(エッセイ集)である。

ボクがこの本を読んだのは12,3歳のころで、別段これといった理由もなく、たまたま近くにあったから手に取って読んだというだけの本である。人とのつき合いかたに悩んでいたとか、この本を読むことによって目の前が明るくひらけたとか、そういう思い出もない。

友人とのつい合い・恋人とのつき合い・師匠とのつき合い。さまざまな間柄の人とのつき合いかたについて書かれている中に、父親とのつき合い」の章もある。若者向けに書かれた文章だから、息子の位置にある者に対して「父親」とどのようにつき合うかが記されている。冒頭の文章はフランスの詩人かだれかが書いたものとして挙げられていて、要は「ふたりの男が会話もせずに歩いていたら、それは父と息子である」というようなことであった。

息子はもう無邪気な幼少年期を過ぎており、父親に対して照れや嫉妬や怒りややっかみや、その他いろいろな複雑な感情をいだくようになってきている。父親のほうも、いつのまにか背丈も伸びて自分に追いつきそうになっている息子を、これまでと同じように子供あつかいするわけにもいかず、かといって対等な大人として接するのもどうしてよいのやら分からず、なんと話しかければいいのかが分からない。

アニメ新世紀エヴァンゲリオンでは、主人公の少年とその父親の確執が描かれた。少年シンジくんは14歳で、ブームになった当時は14歳という年齢に注目した評論や研究書がたくさんあった。思春期・同属・乗り越えるべき存在としての父親。テレビアニメながらの過剰な演出もあったが、息子と父親というものは対立したり・疎ましく感じあったり・交わす言葉も少なくなってしまうものであるという点で、父親とのつき合い(の面倒くささ)について、ある意味で正確に描いていたと思う。

ボク自身は12,3歳で『人とつき合う法』の「父親とのつき合い」の章を読んだが、自分が自分の父親とどのようにつき合っているかを思い返したとき、さすがに「まったく無言で会話することがいっさいない」ほどのことはなかった。エヴァに乗れと強いられるようなこともなく、シンジくんのように怒鳴ったこともない。息子が父親と対立するエディプス・コンプレックスにもさまざまな発露の仕方があると思うが、自分の場合はかなり穏やかに父離れができたのではないかな、と思う。


さて、時は流れた。30年くらい経った。息子の位置から読んでいた「父親とのつき合い」を、次は父親の側から自分の息子に対して実戦をする時がきたのだ。

ふたりの男が並んで歩いているけど、とくに話すこともなく、無言である……、というシチュエーションは、見ようによってはかなりかっこいい画ヅラである。言葉を交わさなくても分かりあっている、いわばプロとプロの関係だ。男は黙ってなんちゃらかんちゃら、というキャッチコピーもあったが、できる男というものはペラペラおしゃべりするものではないし、黙っていても通じあうのが本物ではなかろうか。

ボクはおしゃべりである。ボクの父親もおしゃべりであった。ふたりきりで黙って歩いたことはたぶんないと思う。自分の息子もかなりのおしゃべりである。彼も13か14くらいになった。このタイミングを逃すともう次はない。そろそろ俺たちも黙って歩く父親と息子という境地に至ってもいいのではないか。

……いや、無理をして黙らなくてもいい。父親と息子はお互いに離ればなれになるべきではないか。

 


 

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父と息子のふたりで出かける(その1)。神宮球場プロ野球の試合を観戦。日ハムファンの息子だが、交流戦vsヤクルトでホームチームの1塁側に席を取ってしまい、アウェイな気分を味わう。ボクは野球のことはまったく分からないので、ひたすらビールを飲んでいた。

 

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父と息子のふたりで出かける(その2)。両国国技館で大相撲観戦。息子は魁皇把瑠都日馬富士というファン歴。八百長問題や野球賭博問題で荒れて、お客さんがまったくいなかったころから観戦を続けているので、昨今の大相撲人気はとても嬉しい。

  

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父と息子のふたりで出かける(その3)。運動不足解消のため、あちこち徒歩で旅行する父親についてきて歩く息子。写真は三浦半島を巡った際の、城ヶ島安房灯台にて。ボクがどんどん身体が弱って歩けなくなっているのとは逆に、息子は体力がついて歩ける距離が伸びてきている。追い越されるのもまもなく。

 


 


息子が生まれる前から、子供はなるべく早く親の元を離れるべきだ、と考えていた。年齢の区切りとしては「12歳」で息子は父親のもとを離れるべきだと思っている。これは大人になってから振りかえって見た、自分自身の精神的な意味での親離れが12歳だったからでもあり、エヴァのシンジくんが14歳で、あの不寛容さは親離れがちょっと遅かったんじゃないかなと思ったことも一因である。


息子には「12歳になったら家を出てもよい」と言い聞かせて育ててきた。本人はその気はないし、母親も「それはちょっと早すぎる」といって引き留めるものだから、本人は冗談だと思って聞いていたようだ。でもボクは本気だ。

 

保護者としての責務を放棄するつもりもないので、12歳になったらただちに彼を家から追い出すつもりはないけれど、気持ちの上では“子離れ”しようと決めていた。


息子は12歳になり、13歳になり、まもなく14歳になる。いっこうに家を出てゆく気配はない。寝っ転がってテレビを見ながらへらへら笑ってるのが、そろそろ邪魔なくらい身体も大きくなってきた。


「早く出ていけよ」と言ってみるが、いまだに冗談だと思っているらしい。本気なのに。最近はこっちの言うことを無視することが多くなってきた。反抗的になるのは良い傾向だと思うのだが、出てゆくわけでもなく、まだ家にいる。こんなふうに言い続けていればもしかしたら、ちょっとは自覚や自立心が生じるかもしれないと思って、根気づよく「出ていけ」と言い続けている。


本当の意味で親離れ・子離れするって、どの瞬間なのだろう。

 

息子とふたりきりで出かける機会があるたびに、「これがいっしょに出かける最後になるかもしれないな」と覚悟を決めていくようにしている。父親のボクがそれほどの気持ちでいることを、息子はたぶん知らない。何十年後かに分かるはずだ。