日傘をさして、東京オリンピックのマラソンコースを歩いてみる
2020年東京オリンピックまで2年をきった。夏の開催なので、きっとものすごい暑さになるだろう。特にマラソンは42.195kmという長い距離を2時間以上かけて走る。とてもたいへんに違いない。
よし、歩いてみよう。
公式サイトのスケジュールによると、男子マラソンは2020年8月9日AM7:00-AM10:00。条件をなるべくそろえるために、2年前の同日に同じコースを歩いてみることにした。
2018年8月9日。始発電車を乗り継いで、朝の5時過ぎにスタート位置に到着。都営大江戸線「国立競技場駅」A2出口。
もしサマータイムが実施されると今の朝5時がスタート時の朝7時になるの?
……なんか勘違いしているような気もするけど、気が付かないふりをしてなるべく涼しい時間から歩き始めることにする。
傘をさしている。じつはこの日、前日からの台風13号が関東地方を通過しているところだった。東京都心はもう雨がやんでいたのだが、これは晴雨兼用の日傘でもある。ふだんから日傘を愛用している。夏の晴れた昼間は日傘なしにはすごせない。
国立競技場はまだ建設途中で、中に入ってトラックを一周して走ることができない。代わりに外周道路を反時計回りに1周する。距離はずいぶん長くなるが、これくらいのハンデはあげよう。
5:24に歩き始める。工事現場の建設予定表示がデジタルサイネージ。気温は24℃。曇り空なので日傘は要らない。セミがうるさく鳴いている。ホープ軒でラーメン食べている人がいる。そういえば朝食を食べていない。
立派なクレーン。今しか見ることのできない光景。
2年前から下見をしている人はいない。一番乗りだ。
靴はクロックス。ふざけているわけではなく、長距離を歩いても疲れないのでとても良い履物だ。いつもこれで歩いている。まだ路面は濡れている。
約20分かけてゆっくり国立競技場を一周。
首都高4号線とJR中央線の高架をくぐって、いよいよ一般道に出てきた。沿道の声援が聞こえ始める場所だ。外苑西通りを北にむかって歩く。
今回の徒歩マラソンは、
・歩く。けっして走らない。小走りも禁止。
・信号厳守。
・道路の左側の歩道を通る。右に曲がる時は二段階右折する。
・歩道橋があれば利用する(立体交差が好きなので)。
などの基本ルールを定めた。
それ以外にも、
・水分補給は怠らない。
・トイレのためにコースを逸脱するのはOK。
・無理ならリタイアする。
という感じで、気楽にいこうと思う。
凍らせた500mlペットボトルを3本持ってきた。
身体を外からも中からも冷やしながらいく。
スタート直後は少し起伏のある道が続く。
ゆっくり行こうとカタツムリのオブジェが語りかけてくる。
路肩から河童が応援してくれている。
コンビニで買ったおにぎりとパンを食べながら歩く。
富久町西交差点を右折、靖国通りを東へ。正面に市ヶ谷の防衛省が見える。
車もほとんど走っていないし、歩行者もいない。まだ朝の6時半だから当然かと思っていたら、市ヶ谷駅のほうから防衛省に通勤してくる人がたくさんいて驚いた。朝早いんだなぁ。
6:47。1時間半ほどかかって、5km地点に到達。掘兼(ほりかね)の井という給水所があるが、水は飲めない。
だから、ホットコーヒーで給水。暑くても熱いコーヒー。
トイレも借りる。
5キロ歩くのにずいぶん時間がかかっているが、朝に弱い自分はなかなかエンジンがかからないので、最初はこんなもんだろう。疲れもまったくないし、身体の痛みもない。なにより、台風の影響でまだ曇り空、太陽が出てこないので暑さもつらくない。これは余裕だね……!
飯田橋駅前のすてきな歩道橋をわたり、東京ドームを左手に、水道橋交差点を右折。白山通りを南へ。ゆるやかな下り。
神保町交差点を左折、靖国通りを東へ。少しずつ車が増えてきた。7時半をすぎて通勤する人もたくさん歩いている。
8/8の夕方から夜にかけての台風13号の影響で、昨日は早じまいしたお店が多かったみたいだ。安全第一。無理をしないのはいいことだね。まだ今日の開店前なので、貼紙は残ったまま。
こちらも台風の影響で、壊れた傘があちこちに棄てられている。困ったもんだ。
ところで、どうして壊れて捨てられる傘は透明な傘ばかりなのだろう? ふつうに考えると「透明な傘は安物で強度がないので、強い風にあおられると壊れやすい」ということなのだろうけど、ほんとうにそうだろうか。
透明であるということは、色がついている傘よりも目立たない。壊れて棄てられても色がついた傘は目につくので、すぐに撤去される。透明な傘は後回しにされて、結果的に街に棄てられたままの傘は透明なものばかりになる。
透明な傘に罪があるのではない。悪いのは棄ててしまう人間なのだ……。
……などということを考えてしまうくらいには暑くなってきた。でもまだ太陽は出てこない。
須田町交差点を右折して、中央通りを南へ。神田駅高架下をくぐり、山手線の外側に出る。
8:15、三越前で10km。スタートから2時間51分。まだあまりペースは上がっていない。
日本橋を渡る。地下鉄・船による水運・一般道・高速道路の4重立体交差。
日本橋交差点を左折。ここは3回通るので、沿道での観戦者で大混雑になるだろう。
さて、1/4ほど来たのでこのあたりでゴール時刻の予想をしておこう。このあとはもうちょっと速度をあげて歩くことができるはずなので、5kmを1時間5~10分くらいまで縮められるだろう。15km地点の雷門まで行ってまた日本橋へ戻ってくるのに2時間ちょい。11時前にはここにきて5時間半で中間地点。疲れを見越して残り半分を6時間かけるとすると、ゴールは夕方5時か……。
もうちょっと早めたい気もするけど、無理は禁物。
茅場町一丁目交差点を左折、新大橋通りを北~東へ。浜町中ノ橋交差点を左折、清洲橋通りを北へ。
明治座は(歌舞伎座に比べると)「ザ・ニッポン」という外観ではないので、おそらくテレビ中継では写してもらえないんじゃないかな。
この写真を撮った直後に職務質問された。穏やかに済ませた。
浅草橋の手前の交差点はまっすぐ渡ることができないので、地下道を(C1からC3へ)抜ける。びっしり並んだパイロンは沿道の観衆のメタファーだ。
浅草橋駅でJR総武線高架をくぐる。時刻は9時過ぎ。このあたりから問屋街で、外国人の観光客も多くなってきた。
昔は仕事の関係で、このあたりによく来ていた。まだ若かったせいもあるけど、キツかった思い出がたくさんある。つらかった仕事や理不尽な出来事のすべてが、今の自分にとって糧になっているなどと優等生的なことは言わないが、今はもうあまり足を踏みいれたくないところでもあった。
しかし、だ。個々の問屋さんを「点」で訪れていたときとは違い、通りをまっすぐ突っ切って「線」で歩くと、思っていたほどこの街も嫌な思い出ばかりじゃないな、ということに気が付いた。あっさり克服していたのだ。
こういうのは「ウォーカーズ・ハイ」とでもいうのだろうか。
黒い魔女が応援してくれている。左手でVサインしているのかと思ったけど、動物だ。ジジって黒兎だったっけ?
9:34、浅草寺・雷門前で15km。スタートから4時間10分。ここで1度目の折り返し。来た道をさくさく戻るよ。
2階の上にネオンサインの痕跡。なんと書いてあったのだろう。
「ビ横INル」。
そもそも「セブンイレブン」のセブンは朝の7時のことだったはずで、「腹痛が痛い」感がある「朝セブン」。
「ボルダリング」なのにつるんとした壁のビル。
日本パラリンピック委員会の事務所があった。2年後(365*2⁼730)にオリンピックが終わるので、その約3週間後にパラリンピックスタートということか。
日本橋交差点に戻ってきた。左折して南に向かう。
10:54。スタートから5時間半。滋賀県アンテナショップ「ここ滋賀」前で20km。先ほどの予想どおりだ。西川パイセンから応援してもらう。
風が強い。向かい風。台風の吹き戻しだろうか。太陽はまだ出ていない。
道中、2年後のオリンピックに向けて、街の中でどのくらい例のエンブレムが使用されているのかを探していた。見落としもあるだろうけど、あまり多くはなかったような気がする。
先日惜しまれながら閉店したLIXILブックギャラリー。
文房具店「モリイチ」のショウケース。
組市松紋(くみいちまつもん)。派手すぎず、でも視認性も高い、いいデザイン。
京橋(跡)の橋柱と、たもとの交番のデザインは一緒。
ちなみに、
新橋の橋跡の近くに交番はなし。
銀座を通り抜け、右折して西へ。新橋駅の高架をくぐり、山手線の内側に入り、左折して日比谷通りを南へ。
8(野)/9(球)の日。マラソンの日ってのはいつだ?
芝公園へ。
この道路は中央分離帯が長く続いていて、芝東照宮の前まで行ってやっと折り返すことができる。
信号を渡って、2度目の折り返し。北へ戻る。
増上寺の「共生」=「ともいき」。
12:28。芝郵便局あたりで25km。スタートから7時間4分。食欲はないが、とうとう曇り空が晴れて、太陽が出てくるようになってきた。急激に暑くなる。やばい。この後、昼休みの新橋~銀座を通過する。人ごみの中で日傘をさすのはむずかしい。どうする?
新橋駅の高架下をくぐる。
北上して、銀座4丁目、和光前。
中学生の頃、中島みゆきのラジオ番組(ジョイフルポップ金曜日、略してフルキン)を聴いていたが、
「夏休みに北海道旅行に行きます。札幌出身のみゆきさんのオススメはどこですか」
というリスナーからのハガキに、中島みゆきは
「銀行」
と即答していた。
北海道は寒いと思われているが、夏はちゃんと暑い。屋外に出ていると疲れるので、冷房の効いた銀行に入って涼むのが一番! という意味だった。
(銀行には入らなかったが)歩道を歩いていてお店の前を通ると、店内の冷房の冷気がわっと漏れて吹き出てきて、とても涼しい。でもそれは歩道の建物側を歩いているときだけで、車道側を歩いているとほとんど感じられない。仮にマラソン当日に朝から各店が扉を全開にしてくれたとしても、沿道で応援する観客の人ごみの壁に阻まれてしまうだろうし、車道を走るランナーにまで冷気が届くことはないだろう。
右の足の裏が痛みはじめた。
東京スクエアガーデンと京橋エドグラン。すぐ近くにできた新しいビルが似たような抜けの構造。
指輪を捨てに行く冒険物語を連想させるメトロリンク。
3度目の日本橋交差点。どんどん暑くなってきた。
街を走るタクシーにエンブレムがついていることに気が付いた。タクシー会社はまちまちだが、車種は同じに見える。(昨秋より導入された、トヨタのJPN TAXI(ジャパンタクシー)らしい)
13:27、29キロ付近でついに日傘を開く。
西から射す日に向かって進むので、こういう視界になる。
影もくっきり。
13:46、スタートより8時間22分で30km。家から持ってきた凍らせペットボトル3本は飲み切ったので、コンビニで新しく凍ったペットボトルを買う。品不足だったり売り切れている店も多いようなので、早め早めに追加しなければ危険。
2度目の神保町交差点を左折、白山通りを南へ。
一ツ橋を渡り、平川門交差点を左折。大手濠沿いに内堀通りを時計回りに進む。
西側(写真右)は皇居で、高いビルがない。遮るものがないので太陽の光がまともにぶつかってくる。これはキツい。
和田倉噴水公園で涼をとる。
すっきりしていて気持ちのいい道なんだけど、暑さには耐えられない。
二重橋前で3度目の折り返し。芝公園前と同じでこの道も中央分離帯で分断されているので、折り返すならここしかない。
歩いてみてよく分かったのだけれど、このマラソンコースは綿密に計算されている。距離を調整するための無駄や遊びがまったくなくて、国立競技場・日本橋・雷門・増上寺・皇居前広場という見せたい場所をピンポイントで周る。沿線警護の負担もなるべく少なくなるように、同じところを繰り返し通っている。すごい。
なぜだろう。お濠をみてもちっとも涼しさを感じられない。蒸し暑さばかりがつのる。
皇居前の車止めの石が、カーリングのストーンであればいいのに(=だとすると、路面は氷だから涼しくなるのに、という支離滅裂な連想)。
風も遮られずまともにぶつかってくるので、日傘をさすことができない。濡れ手ぬぐいを頭からかぶって必死で耐える。
平川門交差点を右折、白山通りを北へ戻る。
左足の太腿が痛みはじめた。
神保町交差点付近で35km。15:02、9時間47分。
足の裏の痛みと、太もも(股関節)の痛み。長距離を歩くといつもこれくらいの距離でがくんとダメージが身体に襲いかかってくる。朝は余裕をかましていたのに、なぜこれだけ歩くとこんなに疲れるのか。ただ歩いているだけなのに。なにも悪いことはしていないのに。
歩幅がどんどん狭くなってゆく。
股関節や尻など、痛むところを写真に撮っている。こうすると痛みが和らぐかもしれないと考えてやっていたのだが、スマホのカメラから照射されているナンチャラ線に治癒効果があるとでも思っていたのだろう。正気を保てていたか、自信がない。
道の先に恐ろしいものが見えてきた。
この身体で階段を登れというのか。
立体交差は好きだ。好きだけれど、好きだけれどもさ、好きだからって何をしてもいいって法はないだろう。
飯田橋め、覚えていろよ。
勇気はない。幽鬼である。
足の痛みをごまかしごまかし、太陽に焼かれながらのろのろと歩む。
曙橋駅をすぎて40km。16:24、スタートより11時間。
道を歩いている人たちを見ると、「歩くとは、なんとすさまじい行為をしているんだろう!」と畏敬の念が湧きおこってくる。何でもないと思っていた行為が神聖みを帯びてくる。歩いている人は誰もかれもが優勝に値する。
走っている人はもう、認知の範囲外だ。意味が分からない。むちゃすぎる。なんで走るの?
ビルの谷間、太陽もかなり下がってきて日陰になっているので、日傘を閉じる。下り坂だから楽そうに思われるけれど、歩くとひざや腰に負担がかかるので、嬉しいばかりではない。
かといって上り坂だったらいいというものでもない。わかんないかなぁ、どっちも極端なんだよ。
しかし、最後の坂をのぼりきった四谷四丁目交差点で、道の先に巨大なクレーンが見えた。国立競技場を建設しているあのクレーンだ!
クレーンは建設中しか見ることができない。2年後のオリンピック当日は、もうクレーンは片付けられている。クレーンよりずっと低い位置にある競技場の屋根はここからは見えないだろう。長いマラソンを走ってきた選手は、ここでクレーンを見ることができず、競技場のゴールまでまだあとどれくらい走り続けなければならないのかが分からなくて、絶望してしまうかもしれない。
今しか見ることができないあのクレーンは、最後の力をふりしぼるための勇気のスイッチなのだ。
ラストスパートと称するにはおこがましいのろのろさで坂を下りてゆく。
千駄ヶ谷駅の高架をくぐる。いよいよだ。
見えた! 国立競技場だ! さっきより出来上がっている! ほぼ完成している!
16:57、ゴール。11時間33分、完歩。
うりゃあ。
歩けたぞ。
前日が台風だったからなんとか歩けたようなもので、朝から太陽が出ていたら暑すぎて、ずっと日傘をさしていたとしても完歩することはできなかったろう。逆にいうと、2年後のマラソン当日も前日が台風だったとしたら、絶好の(とまではいえないかもしれないけど、7時から10時までの時間ならじゅうぶん)マラソン日和で、好記録が出る可能性もある。
たぶん2年後のマラソン当日は、今日のことを思い出しながら、なぜかちょっと上から目線で競技を観戦していると思う。
君らスゴいな、でも俺も前に同じところ歩いたで。
君らも頑張りや、俺もけっこう頑張ったで。
ゴール直後に筋肉がゴワゴワに固まってしまって、ストレッチしてもほぐれず、よちよち歩きでビールを飲みに行った。塩を肴にとりいそぎ3杯飲んだら、ちょっと筋肉がほぐれて、歩きやすくなった。たぶん気のせいだと思うので、この療法はおススメできない。
【追記-1】
長距離を歩いている時は、だいたい歌を歌っている。声に出して歌っている。
あまり大きな声で歌うと周りの人をびっくりさせてしまうから、自分にしか聞こえないように、歌詞も不正確だけれど勢いに任せて、ずっと歌っている。
今回のマラソン歩行では、
・hitomi『LOVE 2000』(←シドニー五輪金のQちゃん)
・小林亜星作曲『この木なんの木』(←日立の看板でも見たのかな?)
・サザンオールスターズ『真夏の果実』(←「♪四×六=二十四、歩いていって~」と替え歌、24時間マラソンの連想から)
・ザ・モンキーズ『Daydream Believer』(←太ももがジンジン痛むので、「♪Cheer up sleepy Jean (がんばれジーン)」と歌う)
・ザ・タイマーズ『デイ・ドリーム・ビリーバー』(←流れで。セブンイレブンにも寄ったので)
などを歌っていた。
【追記-2】
途中、テレビの撮影で待ち構えている人たちがいた。
スタッフジャンパーの番組名を見ると『ラン×スマ』というNHK BSのジョギング番組らしい。しゃべりながら走る人たちが、よちよち歩きの日傘のヒトをあっさり追い抜いていった。
「マラソン」の語源は、「万(マン=はてしなく長い距離)+run(走るの英語)+走(ソウ)」である、という嘘を思いついた。
使い道がないな、と思った。