嘘と結婚記念日とプロレスの終焉

ずっと同棲していた女性と2000年に結婚した。

 

 

式は挙げず、ふたりで区役所に届けを出しにいっただけの結婚だ。2000年4月1日。土曜日。ふたりとも仕事は休みで、区役所も休みで、届出を提出するための裏口の奥の小窓だけが開いていた。パチンコ屋の近くにある、ひとつかみのボールペンを差し出す小窓みたいなところだ。

 

この日を結婚の日に選んだのは、ふたり一緒に届出するためであったが、それよりもなによりも日が良かったからだ。縁起をかついだわけではない。当日は仏滅だった。良かったのは日付だ。2000年4月1日。恐怖の大王も2000年問題も乗り越えて生きのびた春の暖かな日。

 

とかく男というものは記念日を忘れがちな生き物である。ボクは忘れがちの極北にいるので、まず今日が何日なのかがわからなくなる。何日なのかがわからないくらいで済めばいいのだが、何月なのかもしばしば忘れる。3月に11月だったっけ? と思ったり、8月に1月かなと感じたり、タイムトラベルを繰り返して酔っぱらった未来人みたいなのが常態だ。

 

誰かと結婚するにあたって、妻の誕生日と結婚記念日だけはけっして忘れてはいけないものだと深く心に刻んでいた。そのためには周到に計画をねる必要がある。時は止まってくれない。

 

ボクがいくらうっかりものでも自分の誕生日は忘れない。4月15日である。レオナルド・ダ・ヴィンチ東京ディズニーランドと同じ日。だから妻となる人には自分の誕生日にからめて覚えやすい誕生日の人を選ぶことにした。10月15日。互いに裏誕生日(うらたん)の間柄だ。誕生日から半年経って、四捨五入したらもうひとつ歳をとる日。これなら忘れない。

 

結婚するのを2000年にしておけば、何年経ったか数えやすい。西暦から2000引けばすぐわかる。百の桁と千の桁は無視できるから引き算ができなくてもいい。この年を逃すとまた千年待たなくてはならない。和暦で覚えようとすると複雑な計算が必要でお手上げになってしまうから、未だに西暦2000年が平成何年だったのかは知らない。覚えなければならない数字は少なければ少ないほど都合がいい。

 

あとは日付だ。なぜかボクは周りの人たちから嘘つきだと思われている。これまでの人生で一度も嘘をついたことがないのに。でもまた「結婚しました」とみんなに報告したところで嘘だと思われてしまうのだろう。悲しいけれども運命だと思って受け入れるしかない。どうせ嘘だと思われるなら、みんなに嘘だと思ってもらいやすい日を選べばいい。それが気づかいってものだろう。だから4月1日。エイプリルフール。

 

2000年4月1日、結婚。

 

桜は6〜8分咲き。届けを出したボクらはコンビニでお弁当を買って、近所の公園でふたりでお花見をした。ボクはふだんは滅多に買わないスポーツ新聞を買った。有珠山の噴火もSPEEDの解散も押しのけて、注目は橋本真也小川直也の抗争だった。橋本が翌週の東京ドームでの試合に「負けたら引退」を宣言してしまい、これは大変なことになってしまったとショックを受けていた。このままではプロレスが終わってしまう、どうしよう……。

 

実際に橋本は小川に負けて、引退。プロレスはひとつの終焉をむかえた。

 

もう何年も経つが、いまでも妻は結婚した日にボクがスポーツ新聞を読んで「プロレスが終わってしまう、どうしよう」と不安がっていたことをよく覚えている。くりかえし言われる。今年も言われた。

 

大切なことを学んだ。

 

結婚で大事にしないければならないのは、記念日を忘れないことと、スポーツ新聞をド真剣に読みすぎないことだ。

 

 

追加:

さっき「結婚して20年めになるね」といってしまうしくじりをやらかした。今年が2019年だと思いこんでいた。平成29年が悪さをしやがったのだ。